ネット証券で1位になれた理由
チャールズ・シュワブはインターネットを通じたオンライントレーディングを誰よりも早く開始したわけではない。また、ほかのオンラインブローカーに対して、絶対的な価格優位性を持っているわけでもなかった。しかし、証券業界で1位になった。
創業者チャールズ・シュワブ氏の歩み
チャールズ・R・シュワブ(Charles R. Schwab)氏は、1937年米カリフォルニア州生まれ。1961年にスタンフォード大学経営大学院卒業。1971年に、従来型の証券会社としてチャールズ・シュワブ・コーポレーションを設立した。
1970年代:規制緩和の波に乗る
1970年代、米国の証券業界は「手数料固定制」という旧来の慣行に縛られていた。投資家が株を売買する際の手数料は横並びで、個人投資家にとっては高額負担となっていた。シュワブ氏はこの状況を「不公平だ」と考え、1974年にディスカウント・ブローカーとして低廉な手数料を打ち出した。
「メーデー(May Day)」
きっかけとなったのは、1975年に証券取引委員会(SEC)が導入した「メーデー(May Day)」と呼ばれる手数料自由化だった。規制緩和によって旧来の大手証券会社が動揺するなか、シュワブ氏は「価格破壊の旗手」として一気に注目を浴びた。オフィスに自ら顔を出し、顧客一人ひとりの声を聞きながら改良を重ねる姿は、“起業家魂”を象徴するエピソードとして知られる。
個人投資家から支持
当初は「安い手数料ではサービスの質が落ちる」と批判されたが、顧客志向を徹底し、電話注文や迅速な執行体制を整えたことで、徐々に個人投資家から厚い支持を集めるようになった。
1980年代:バンカメ買収と独立への道
1980年代に入ると、急成長するシュワブ社は大手銀行からも注目されるようになった。1983年にはバンク・オブ・アメリカ(バンカメ)が買収し、一時は銀行傘下の証券会社として運営される。しかしシュワブ氏は、銀行的な官僚的経営と自らの起業家精神との間で摩擦を感じることとなる。
経営権を買い戻し、再独立
アテル投資顧問によると、彼は経営会議の場で「顧客本位でなければ意味がない」と主張し続けたという。結局1987年、バンカメが経営難に陥るとシュワブ氏が自ら経営権を買い戻し、再独立を果たした。この“経営の奪還劇”は、米金融史の中でも特筆される出来事である。
投信のスーパーマーケット「ワンソース」を開発
再独立後のシュワブ氏は、さらなる革新に挑んだ。系列に関係なく膨大な数の投資信託をひとまとめで販売する「ワンソース」構想である。これは、まるでスーパーで商品を選ぶように投資信託を比較・購入できる仕組みであり、当時の投資家にとって画期的だった。
取り扱い本数が数百本に
1992年にサービスを開始した当初は、数十本の投資信託を取り扱う規模に過ぎなかったが、投資家のニーズを的確に捉え、わずか数年で取り扱い本数は数百本に膨れ上がった。利用者は一つの窓口で比較検討・購入が可能になり、複雑でわかりにくい投信販売の常識を根底から覆したのである。
やがて、400を超える投資信託の売買を、ネット上で手数料ゼロで行えるサービスと、それを支える無料ツール群ができあがった
無料ツール
シャワブの無料ツール群には、それらファンドの過去のパフォーマンスや運用スタイル等により比較・選定するためのツールや、顧客ごとのポートフォリオを管理するためのツール、税務申告書類作成ツール等々が含まれた。シュワブが得るのは、投資信託運用会社からの棚出し料だ。ファン運用会社にとってもシュワブの「棚」に乗ることで、低コストでヒット率の高いマーケティング効果が得られるようになった。
「資産管理の拠点」としてシュワブを利用
このような無料ツールの提供は、単なる付加サービスにとどまらなかった。投資家は煩雑な情報収集や税務処理の手間を大幅に軽減でき、初心者から経験豊富な投資家まで幅広い層に受け入れられた。結果として、顧客は「取引の場」としてだけでなく「資産管理の拠点」としてシュワブを利用するようになり、自然と長期的な顧客囲い込みにつながった。
「使いやすいから選ぶ」へ
特に1990年代以降は、インターネット取引の普及と歩調を合わせる形でオンライン版のツールが拡充され、個人投資家は自宅からリアルタイムにポートフォリオを確認し、取引や税務処理を行えるようになった。これにより「手数料が安いから選ぶ」から「使いやすいから選ぶ」へと、顧客の動機付けが進化した点は注目に値する。
「三方良し」のエコシステム
一方で、シュワブにとっての収益源は引き続きファンド運用会社からの棚出し料であり、顧客から直接課金しない仕組みが透明性と信頼感を高めた。投資家にとっては無料で利便性の高いサービスを享受でき、ファンド運用会社にとっては効率的な販路を得られる。つまり、シュワブの無料ツールは「三方良し」のエコシステムを築き、同社の競争優位を一段と強固なものにしたのである。
信託報酬の一部を販売会社が受け取るモデル導入
さらに、シュワブは、投資信託の信託報酬の一部を販売会社が受け取るという「トレイル・フィー」モデルを導入した。これにより、シュワブ側は持続的な収益を確保しながら、投資家にとっても透明で公平な選択肢を提供できるようになった。これにより投資信託会社もこぞってワンソースに参加し、1990年代半ばには数千億ドル規模の資金がこのプラットフォームを通じて流れるまでに成長した。
「投資信託のスーパーマーケット」というコンセプトは米国の投資行動を一変させ、やがて他社も追随する新しい業界標準となった。シュワブ氏はこの成功を通じて、“投資家の自由な選択を最優先する”という信念を実証したのである。
シュワブのビジネスモデル
投資信託で稼ぐ
株式の投資家が求めるのは、自らの資産特性や投資スタイルに合った資産運用だ。それを実現するために必要なのは、必ずしも安価な取引手数料のみではない。また、オンラインでいつでも取引可能という利便性のみでもない。
フィナンシャル・アドバイザーを組織化
さらに、「シュワブリンク」と称してフィナンシャル・アドバイザーを組織化した。彼らの顧客の資産ポートフォリオ管理やファンドの売買を「ワンソース」で行わせることによって、従来高額であったアドバイスサービスを比較的低コストで提供することを可能とした。これによって、ある程度の資産規模を有するミドルアッパークラスの顧客層をも取り込むことに成功した。
音声認識電話やコールセンター
また、サービス提供チャネルの面でも、音声認識電話やコールセンター、店舗といった、ほかの多くのオンライン証券会社にはない幅を用意した。証券相場への反応感度が異なる投資家層のニーズにこたえたり、対面で獲得した顧客を、より低コストなチャネルに誘導するといったことを可能にした。
動画
創業者チャールズ・シュワブ氏のインタビュー